未来への約束の証として
ゆきさんの次のブログ当番の方、割込みさせていただきます。申し訳ありません。
お久しぶりです、いつか、です。
私はリハビリの部屋日記でブログを書かせていただくことになり、しばらくの間、斉藤と名乗っていました。ですが、もともとが飽きっぽい性格なのと、心境の変化があったこともあり、いつか、と改名させていただきました。
この、いつか、という名前を今はまだ気に入っているので、ブログ上での名前は、また改名したい衝動にかられるまで、このままでいきたいと思います。
名前といえば……
私、来月の2月20日から、苗字が変わることになりました。
今回は、その報告を、この場を借りてさせていただきたいと思います。
私、結婚(婿入り)します。
そういうわけです、はい。
興味のある方は、もう少しお付き合いいただけると幸いです。
彼女は富山市にある病院で、言語聴覚士として働いているのですが、仕事を始めたばかりだし、アパートでもう一緒に暮らしている。それでも、今この時期に、私達の関係に紙切れ一枚の約束が必要なの?
と、もともと、結婚願望はかなり少なかったこともあって、結婚にはあまり乗り気ではありませんでした。
ですが。
私は欲しかったのです。
彼女の言う、紙切れ一枚の約束が。どうしても。
両方の両親から将来の結婚の承諾を得て、それを前提に同棲もしている。それでも、その紙切れ一枚の約束が結ばれない限り、私と彼女は、お互いの気持ちがどうあれ、他人なのです。
私は、私の自慢の彼女を、胸を張って、彼女が私の妻です、と、私を今まで支えてくれた人達に、宣言したかったのです。
ある愛の詩、という古い映画の中に、次のような台詞があります。
「Love means not ever having to say you're sorry」
(愛とは決して後悔しないこと)
911の同時多発テロの後、チェーンメールで世界中の人々が目にした、ノーマ・コーネット・マレックさんの、『最後だと分かっていたなら』という詩があります(公式HP http://www.sanctuarybooks.jp/saigodato/)(全文掲載されているHP http://homepage3.nifty.com/mmsagawa/hug/words_if.html)
このことば達を彼女に伝えると、彼女は私が驚くほどすんなりと、入籍を受け入れてくれました。
当たり前にくると思っている明日。
いつまでも続くと思っている日常。
でも、もしもそれが勘違いだったら?
それがある日、突然、理不尽に奪い取られてしまったら?
臆病な私は、明日が必ずくることと、この日常がいつまでも続くことを願いながら、ある日突然、理不尽にそれに終止符を打たれることを想像して、いつも震えていました。
ですが、紙切れ一枚の約束が、その恐怖をほんの少しでもやわらげてくれるのです。
私達が家族になって、私達に家族が増えれば、新しい幸福が訪れると同時に、新しい恐怖が生まれるでしょう。しかし、それを、力を合わせて乗り越えていって、
私が生まれた時、私が泣いて、周りの人が笑ってくれたのとは反対に、
私が死ぬ時、私が笑って、周りの人が泣いてくれるような最期を、
今の彼女となら、きっと、迎えることが出来るでしょう。
婚姻届という一枚の紙切れは、そのためのもの。
ふたりの未来への、約束の証なのです。私にとって。
病院のHPで、私的な報告を長々と書き連ねてしまい、申し訳ありません。乱文乱筆で、支離滅裂な報告に最後まで目を通していただいて、本当にありがとうございました。
苗字は変わりますが、それでも私は、ここでは池田リハビリテーション病院の言語聴覚士、いつかです。
今後とも、未熟者の私に、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。