最近思うこと   

 人間は、感覚受容器を通した脳内の信号でしか世界を認識することが出来ない。
【視覚は380〜770nmの波長の光まで。聴覚は約20〜20000Hzの音波まで。嗅覚は嗅覚細胞が約500万個、味覚を司る味蕾は10000個しかない。指先の感覚点は1平方cmあたり痛点が100〜200、圧点25、冷点6〜23、温点0〜3】というふうに(多少の個人差はあれど)決まっている。
 そこから伝えられる電気信号や物質を、大脳皮質の100億〜180億と小脳の1000億の細胞で処理・変換することでしか世界と関われない。
 そんな矮小な感覚器官で構成された世界に、それぞれの人間が持つ記憶や経験が作り上げた価値観が加わり、現実という名の幻想が出来上がる。
 だから。
 ヒトとヒトは、永遠に分かり合うことは出来ない。
 それでも。
 私達は冬の寒さに震えるハリネズミのように、何とかお互いを傷付けずに暖めあえる距離を掴もうとして試行錯誤を繰り返す。離れ過ぎれば簡単にお互いを見失うし、近付きすぎれば互いの棘で傷付け合うことだってある。
 それでも。
 僕達は現実という名の幻想を組み上げるパズルの一欠片のように、繋がり合う。刻一刻と流転する現実を受け入れて、分かり合えない他人同士という永遠の断絶を埋めるための行動を起こす。言葉を紡ぐ。
 自分という欠片が強固な人は憧れるけど……苦手だ。
 自分を貫くことで周囲を変えていける力のある人はすごいと思う。だけど。自分というカタチを変えない・削れない人は、繋がり合う誰かのカタチを変える・削ることでしか繋がれない。
 それは酷く歪な繋がりだと思う。
 是が非でも貫くべき高尚な信念や思想は、私には、多分ない。あるのはつまらない意地とエゴだけだ。そんなものを大事に大事に抱えている私だから、私と繋がってくれている人は、例外なく私と繋がるために心を砕いてくれているのだろう。
 そんな優しい人達。私にとって掛け替えのない人達の心が、擦り切れてしまう前に。
 私は、少しずつでもいいから……というより、きっと、少しずつしか変われないけど、変われたらいいなと思う。譲れないものを心の奥に抱えていても、繋がる誰かに対する柔軟さを失わない自分に。








 あ。『視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の5分類はアリストテレスの古い分類方法で、現在の分類はそれだけじゃないよー』というツッコミは無しの方向でお願いしますーm(__)m