サヨナライツカ
「趣味は読書」と公言しているのに、ここ数か月の間、
本を一冊も読んでいない新人ST斉藤です。
最近、引越に伴って部屋の荷物を整理する機会があり、
押入れの奥に眠っていた古い段ボールの中から、
思い出の一冊が見つかり、せっせと荷物の整理をしている
彼女に隠れ、読み始めてしまいましたm(__)m
『いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない。
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい。
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある。
どんなに愛されても幸福を信じてはならない。
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない。
愛なんか季節のようなもの。
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの。
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ。
本当の幸福なんてないように
永遠の不幸もない。
いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる。
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる。
私はきっと愛したことを思い出す』
サヨナライツカという、辻仁成さんの著書に登場する詩です。
今まで色々な本を読み、言葉に触れて来ましたが、
僕の中に一番長く残り、考えさせられたのはこの詩だと思います。
死を前にした時に思い出すのは、愛したことか、愛されたことか。
本当の答えは、その時を迎えなければきっと分からないのでしょうが、
今の僕の答えは……
『どっちも』
ですね(^^;)
愛したことでも、愛されたことでも、思い出すのは
“誰か”
のこと。
自分が愛した人か、自分を愛してくれた人か。
僕にとってそれは、切っても切れない関係なので。僕にとっては、
愛したことを思い出す時は、愛されたことを思い出す時であり、
愛されたことを思い出す時は、愛したことを思い出す時なのです。
自分がいま、ここにいること。ここにいることが出来ていること。
それは、今まで僕を愛し、守り、導いてくれた人がいるおかげなんです。
僕は自分の意志でここにいるのですが、それを選ぶことを許してくれたのは、
僕の周囲にいる人達ですから。
いま生きているのは、たくさんの人やものに生かされているから。
……それを、僕はいつも、簡単に忘れてしまいそうになります(--;)
まだまだ人間として未熟だな〜(汗)
と思う瞬間です。
長々と書いてしまってすみません。
今これを読まれているあなたは、
最期の時に、
愛したことを思い出しますか?
愛されたことを思い出しますか?
どちらであっても、その“誰か”に日々感謝し、大切に想いたいですね(^^)